こんな私でごめんなさい

知り合いから「娘の大学が決まりました」とメールが入った。その娘さんが1年浪人して合格したのは、なんとうちの長女と同じ大学。そのメールを見たとき、嬉しいどころかとっても憂鬱な気分に襲われた。それで改めて認識したの。
私はこの人が嫌いなんだと。


その人とはずっと以前社宅で一緒になり、子供も同じ年齢だったということもあって、わりと仲良くつき合ってきた。お互いが転勤して離れてしまっても、子供同士が仲良くしてたので、年に1度くらいは家族ぐるみで会っていた。でも子供たちも大きくなるにつれ段々疎遠になり…。そうなると親だけでも会うかといえば…。気が進まないんだなぁ。今考えると昔も結構無理していたんだと思う。彼女は広く浅くつき合うということが苦手で、狭い人間関係の中でべったりと依存するタイプ。今思えば私にとっては相当重かったんだね。

振り返ってみても、彼女とはいい思い出よりイヤな思い出の方が多いんだもの。
たとえば娘の高校受験の時でも「ヤッター!\(^o^)/うちは合格したけど、○○ちゃんはどうだった?」みたいなデリカシーのカケラもないメールを親子して送ってくる。うちも合格したからいいようなものの、その時はまだ発表待ち。もし落ちてたらどうするよ。こちらはとても気を使っていたのにさぁ。たぶん悪気はないんだろうけどね(そう信じたいよ)。
じゃあとても強い人かと言うと、これがとても傷つきやすくナイーブ。だけど人にはズケズケ傷つく事を言うんだなぁ。

そこの娘さんは高校生の時いろいろあって中退。その後卒業認定テストを受け、1年予備校へ通っての大学合格なので、その頑張りを本当ならとても喜んであげるべきなのにね…。


まぁ、仕方がないか。「私は聖人君子じゃないのだから」と開き直ることにしよう。前は子供の手前「仲良くしなくちゃ。好きでいなくちゃ」という意識が強く働き、「そう思えなければそれは私の心が狭いから」と、どこかで無理をしていた気がする。それが今の憂鬱を生んでると思うんだけど、これを書いていたら「別に好きじゃなくてもいいじゃん」という気持ちになり、やっと自分の素直な気持ちを受け入れられたみたい。そうよ、無理につき合う必要など全然ないのよね。これを機会にもし誘われても、会いたくなければ断ればいいんだもの。もう社宅でもないし、子供の繋がりもないんだから。

なんだか今になってやっと開放された気分。そう思ったらさっきよりはずっと「おめでとう。良かったね」という気持ちになった。