老いるということ

夕べは義父が冷や汗が出るくらいの腹痛を訴え、最後は救急車を呼ぼうか?というところまで行ったんだけど、そうしてる間に少し落ち着いてきたので、結局救急病院へ連れて行った。
夫は夕飯時に晩酌の缶ビールを空けていたので(350mlを1本)、必然的に運転嫌いの私が運転して、夫と共に付き添うことに。


以下、お食事中の方には不適切な表現があるかもしれないのでたたみます。










病院へ着いたときは深夜の1時頃だったんだけど、幸い空いていたので早く診てもらえた。
義父は元々便秘がちのため、かかりつけの内科で薬を処方してもらっていたんだけど、この日はいつもよりちょっと強い薬を貰って飲んでいたらしい。どうもその効果か腸が活発に活動し始め、大変なことになったみたい。こういう時の痛みと苦しみって、半端ないもんね。特にお年寄りと子どもの場合は便秘といえども侮れないんだよねぇ。義父はいくら元気といっても恩年80歳を超えるので、自分の身もだんだんおぼつかなくなってきているし。


たぶん大丈夫だとは思いつつ、もしかして腸閉塞だったりしたら大変なので、救急車も考えたわけだけど、いざ呼ぶとなると勇気がいるもんだね。絶対ご近所さんは何ごとかと思って出てくるだろうし。



結局心配するようなことはなく、大丈夫だった。救急車を呼ばなくてホントよかった。
でもこれはすっきりするまで苦痛の波は終わらないので、すっかり治ったというわけではなかったんだけど、治療法も特にないのでそのまま帰った。
診てもらうだけで安心するし、安心すると痛みの感じ方も随分違うしね。


会計を済ませて家に着いたら午前2時を回っていた。
ひとまず大事に至らなくて良かったと思ったものの、親が高齢になればなるほど、これからこういうことも起こってくるんだろうなぁとため息。これが幕開けにならないといいんだけど。


ついこの前まで娘のことで頭を痛め、やっと最近落ち着いたと思ったら今度は親の心配をする年齢。
こうしてみると平穏無事で暮らせる時など、ほんの少ししかないんだよねぇ。
人は常に何かしら悩んだり、心配したりしながら生きているんだなぁと今更ながらにしみじみ思った。
あんまり深く考えもせず同居しているけれど、もしこの先、親が寝たきりになったりしたら、私はちゃんとやっていけるんだろうかとふと不安になった。今回の義父の世話は義母と夫任せだったのだけど、改めて考えると全く自信がない。


そうは言っても別に悲観的になっているわけでもないんだけれど。
その時はその時。どうなるかわからないことを今から考えても始まらないしね。
でも普段は忘れている現実を、目の前に突きつけられたような、そんな出来事だった。