「頑張れ」という言葉

今、日本中に「頑張れ!」があふれてる。
それはとてもすばらしいと思う。
すばらしいと思うけど、思い出すのは胸がしめつけられるほど悩んでいた日々。


ある日実家の母が電話の最後に言った「じゃあね。頑張って」を聞いたとたん、涙がダーっとあふれ出した。

「お母さん、私頑張ってる。一生懸命頑張ってるんだよ。
これ以上何を頑張ればいいの?」

と泣きながら母に訴えてた。


もちろん母が力づけようとして言ったのはよーくわかってる。
でも頑張っても頑張ってもどうにもならず、悩み苦しんでいる自分にはとても酷な言葉だった。
思いがけなかった娘の反応に母はおろおろ。心配してくれる母を困らせてしまった。
いつも「何でもない。大丈夫」というフリをしていただけなんだ、と自分でもやっと気づいた瞬間。


「頑張れ!日本」
とか
「頑張れ!東北!」
のような大きな激励はいいかもしれないけれど、被災した方個人に「頑張って!」と安易に言うのはどうだろう。
「頑張れ!」の言葉で励まされる人もたくさんいると思うけど、もしかしたら辛い思いで聞いている人もいるんじゃないかな。
気持ちに余裕のある時には元気になる言葉。
だけど、どうしていいのかわからないくらい切羽詰った時には、更に追いつめられてしまう言葉でもある。
そういう私自身もつい「頑張って」って簡単に、あいさつ代わりに言ってしまうけれど。



思い出せば、学校の先生も、小児診療科のお医者さんも、カウンセラーも、みんな「お母さんは頑張ってます」と言ってくれて、その言葉に救われた。


今被災された方々が頑張ってる。
救助に関わってる方々が頑張ってる。
原発で作業されてる方々が頑張ってる。
そして日本中が頑張ってる。


頑張れ!もいいけれど、頑張ってるね!もいいじゃない?