卒業


娘たちが先日、それぞれ高校、大学を卒業しました。


それまで卒業式が行われるのは当たり前のことだと思っていました。
特に長女の場合は朝から美容院だの着付けだの、母親の私まで一日中振り回され、おめでたい日だというのに少々食傷ぎみ。
こういう時、生き生きとしてお世話されるお母さんもいらっしゃるけど、私は昔から苦手。ステージママには絶対なれないタイプです。
もちろん卒業はとても嬉しいし、精一杯のことをしてあげたい気持ちは誰にも負けないんだけど、当然のようにする送り迎え(夜は除く)なんかが、過保護過ぎる気がして。


でもしみじみ感じました。
こうして卒業式が無事迎えられることは、当たり前でもなんでもなくて、本当に幸せなことなのだと。
今回の災害で、いろいろ準備されてたのに叶わなかった学生さんとそのご家族もいらっしゃるでしょう。送り迎えしたくてもできない、それはどんなに残念で無念だったかを思うと胸が痛みます。
またこの影響で卒業式が中止になった大学もたくさんあると聞きます。
こうして卒業式が無事行われたこと、それに参加できたこと、本当に感謝です。



そして違う意味で、次女が無事卒業できたことを心から嬉しく思います。
振り返れば本当にいろいろありました。
高校へ入学した時、卒業することこそが目標でした。
当時の彼女にはそれくらい高いハードルでした。
回り道をしたけれど、ちゃんと目標を達成できたことを、褒めてあげたいと思います。


娘が保健室登校をしていた頃の私に、今のことを伝えられたら、どんなにホッとするでしょう。
そしたらもっと余裕を持って、次女に接することができたんじゃないかと思います。


でも先日次女が言いました。
「こうしてここまで来れたのはお母さんのおかげ。本当に感謝してる」と。
「あの時、もし『行きたくなければ行かなくてもいいんだよ』と言われていたら、きっと学校には行けなかったと思う。お母さんが『さぁ、行くわよ』と言ってくれたから、ここまでこれた。ほんとにありがとね」って。


あの頃、娘の将来を考えると心配で不安で、本当に苦しかった。人生で初めて円形脱毛症にもなったなぁ。
でもそれがあるから今がある。
もしあの時の自分に伝えていたら、それはそれはとても安心しただろうけれど、ここまで来れなかったかもしれない。
そう、あの本当に苦しかった時間も決して無駄ではなかったと、今だから思えます。


そしてその頃お世話になった保健室の先生から、素敵なプレゼントが届きました。
ありがたいことに今でも次女とは交流が続いていて、誕生日には必ずプレゼントを送ってくださるんだけど、今回は誕生日&卒業&大学の合格祝い。
「自分の道を見つけて、そして合格の報告。本当に嬉しくて涙が出ました。○ちゃんと出会えてよかった」のメッセージつき。


そうです。家族だけではなく、いろんな人に助けられてここまできました。
同じ境遇のお母さんと「いつか『そんな時もあったね』って笑える日がきっと来る」と励ましあったこともありました。
まだまだ先はわからないけど、もしまた立ち止まることがあったとしても、焦らず、優しく、そして厳しく、見守っていけたらなぁと思います。



こんな時ですが、

卒業生のみなさん、おめでとうございます。