父の心境と言ったわけ


先日、塚愛仲間オレマさんのエントリ(ピリオドの向こう側)を拝読し、コメントさせていただいた。自分のブログを書いている時にもよくあるんだけど、書いてるうちに、意識していなかった自分の気持ちが素直に表れてくることがある。この時もそう。
気づけば『なんだか娘を嫁に出す父の心境』と打っていた。そうなのよ。まさに今の心境はそれにとても近いんだよね。男性にも関わらず娘としたのは、つかもとくんが女優に勝るとも劣らず(いや本心は勝ってると確信しておりますが(笑))の美貌の持ち主だから・・・というわけではありません。そして、お母さんとも息子とも違うのよ。父から娘への気持ちなの。
世のお父さんというものは、娘がとても可愛くて、いつも娘の幸せを一番に願ってる。だからできればずっと手元に置いておきたいの。でもいつか愛する人の元へ嫁いでゆくであろうこともわかってる。それが娘にとっての幸せだということも。でもその日のことを考えただけで寂しくなってしまうから、そんな日は当分来なければいいと願ってる。どうぞその日が1日でも遅くやってきますようにって。娘が嫁ぐ日。それは父親にとって、嬉しいけれど寂しい日なのです。だから結婚式で人知れず涙する。
まさに今の私は、最愛の娘を嫁に出しちゃって、心にポッカリ穴が開いてる・・・そんな感じ。でもこの穴も、だんだん少しずつだけれど埋まりつつある。それはそれでなんだかちょっと寂しかったりするんだけれど。そして嫁いだ娘の幸せそうな姿を見ると、「あ〜、幸せでよかった」ってホッとするの。

私にとって、つかもとくんを茶化したり、突っ込んだりするのは愛情表現のひとつであって、とても楽しかった。でも同じ目線、同じ思いのお仲間とそれで盛り上がっていると、「その発言は不愉快です」と時々苦言を呈される事がある。その気持ち、わからなくはないんだよ。そう言ってこられる方もやっぱりつかもとくんが大好きだと思うから。その大好きなつかもとくんをバカにされたり、けなされたりしたと思って言わずにいられないんでしょう。でも違うの。決してそんな風に思って言ってる訳じゃない。可愛いから構わずにいられないんだよね。けなしているどころか、天職を得て輝いている一社会人として、尊敬しているし、彼の演技に感心しているの(正直プロとして「ん?」って思うところもないとは言えないけど、憎めないのよねぇ(苦笑))。なのにどうしてそんな行き違いが生まれるかといえば、多分同じ好きでも立ってる位置が違うんじゃないかと思うのよ。
擬似恋愛とか、いい年して乙女心とか言ってはいるけれど、それはお若いファンの人がつかもとくんに対して、「いつか運命的な出会いをするかもしれない」と想像し、真剣に恋をする気持ちとは全然違うんだよね。残念ながら、そんな夢を見るには大人になりすぎてしまっているから。たとえば、職場に素敵な男性がいたら、それだけで仕事に行くのが楽しくなったり、いつものコンビニに可愛い男の子のバイトくんが入ったりすれば、普段の生活がちょっとだけウキウキするような、それのスーパーウルトラ進化形とでもいいましょうか。更にそこに母親目線が入っているのが、たぶん一番の違いかもしれない。
だから彼の結婚に対する一連の気持ちも、恋しい人が自分以外の人と結婚してしまうという、嫉妬やショックから祝福できないのとは全く違うのね。どう違うかといえば、それを言い表すのに一番近い感情が「娘を嫁に出す父の心境」となるわけです。
もちろん実際に身近で生活していた実の娘とは違うんだけど、自分の中ではそれくらい近くにいた人だった。それはファンならばきっとみんな同じでしょう。そしてそんな気持ちにさせてくれた事を今とても感謝してる。この2年弱の間は本当に楽しかったから。そのおかげで知り合えた方々がいて、それは本当に嬉しいことだから。たぶん1人ではこんなに楽しめなかったし、続かなかったと思うのよ。だから
今まで本当にありがとう。


な〜んてお別れの挨拶みたいだけど、違うよ〜。
今までの濃ゆ〜い目線とは違っても、これからも遠慮なく突っ込ませてもらいますから、よろしくお願いします♪